私の親・・・現在96歳 自宅で介護
(後期高齢者の中でも超後期! つーか末期?)
過去を振り返ると
◆89歳 1ヶ月の入院を2回 (実家で一人暮らしの頃)
介護サービスのホームへルパーを週2回
私と姉が週2日ずつくらい実家へ(ショートステイも時々利用)
◆92歳 一人暮らしは無理になったので、私の家に引き取った(奈良→京都)
引越が落ち着いた頃に、週2回のデイサービスを利用
(主に風呂に入れてもらうことが目的)
当初は、塗り絵や折り紙などを楽しんで、家でも練習に励んでいた
◆現在、96歳
昨年くらいから何事も意欲が無くなってきた。理由は
視力聴力の低下・手足もしびれたりして自由に動かない
デイのお友達もつぎつぎといなくなる(下記※)
で、この数年、とくに去年くらいから一層年を取るのが早くなってきた感じ。
先週できていたことが今週はできなかったりする。
(例えば、洗濯していることを忘れたり、洗剤や柔軟剤をキャップ1杯大盛りでいれたり、とか
醤油やソースをどばどばかけたり、間違えたり。今食べた食事や今日デイに行ったかどうかも分からない
ベッドから起きる時間、トイレまで移動する時間、着替えに要する時間も、2倍以上みたいな
( ↑ もちろん私がよいしょよしょとリハビリの一つと思って付き添ってやってる)
・・・イメージ的には4ヶ月で1歳年を取っている雰囲気
困るのは薬を飲んだことを忘れて、2回3回飲んじゃうこと。逆に飲むのを忘れたり。
・・・血圧低下でふらふらになったり、睡眠薬のみすぎでふらふらになったり)
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※施設で、ある日突然「デイのお友達がいなくなる」
このお話、実はしょっちゅうお聞きします。(→当然といえば当然なのですが)
高齢者施設に入っている人・利用中の人、どこでもです。
最初はみんな新鮮な気持ちなんですね。でも見知った顔がいなくなると
理由は教えて貰えないけど、病気で入院→施設かなぁ・亡くなったのかな・子どもさんのところに行ったのかなぁ、などと想像しています。
しかも、高齢者密度が高いだけに、現役世代よりも切実のようで。それに、、、
年齢的に当然「亡くなる」というのは誰しも頭をよぎるわけで
・・・【つぎに死ぬのは、私かも】
とある特養のスタッフにお聞きしたことがあります
「うちでは、毎年3人くらいは亡くなります。ワンフロアで一人か二人。ときにはバタバタと亡くなるときもあるんですよね」
普通の新興住宅=昭和50年代の住宅地ではどこでも高齢化が進んでいると思いますが、「多死社会」ってこういうこと。
ま、私も還暦前で先日から有名人がいろいろ亡くなったりして、ちょっとずつこういうことを思うようになってきました。
で、それを過ぎると上に書いたような親の状態になっていく
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本屋さんに行くと、傾向が少し変わってきたかなと思ったりします、すなわち
→生きることから死ぬことに話題が移ってきているような気がします。
「100歳まで生きるためには」とか「若さ・健康を保つ」とかから、
「終活のすすめ」逆に「終活なんてするな」とか
生きると言うこと・老いると言うこと、一体何が正しいのか自分でもよく分からなくなってきました。
(目の前の私の事でいうと、親と距離を取った方がいいのか・自宅介護を続けられるか、どっちがいいんだろみたいな)
ところで、強引に数年前のお金の話題にしますが、【老後2000万円問題!】
これすごいインパクトのある言葉だったんだなぁと思っています。
だって、今でもお客さんとかからよく聞く言葉だから。
→ コロナ前の言葉なのに
(それにキャッシュ問題は人それぞれ・家族構成や住むところ持病の状態、その人それぞれで変わって本質じゃない。しかもそれらも皆さん分かった上でやっぱり「2000万円問題」といってしまうところに不思議さがあります)
幸せに老いるというのはどういうことなんだろ?
もっか、私の場合は目の前の親のことでちょっと頭が回らない
(というか、夜も昼も呼び出しベルとかで集中できる時間がとれない。
ちょっと目を離すと倒れて起き上がれなくなっているし)
・・・寝られるときに寝ないと体が持たないので、私も睡眠薬がちょっと増えてきた
月に1回、ショートステイに3~4泊して貰うときが私の休日&仕事&集中できる、ホッとする時間。
(本来の目的は、利用者が総合的に生活できるための支援のはずだけど、、、
家族のための休日になってます ←ま、これも目的の一つですが)